つい数ヶ月ほど前、Timelineについて批判的な意見を書いたときには、Facebookがどこに向かっているのか、想像することもできなかった。
しかし、今回Timelineの画期的な仕様変更を見て、彼が向かっている方向についてぼんやりとみえたような気がした。
今まで、Facebookは、抽象化すると以下のようなモデルであった。
コミュニティースペースから得た個人情報で最適化された広告をユーザーへ提供し、企業から広告費をもらうシステムだ。
Timelineの仕様変更後、このシステムは更に強化されるだろう。
企業が今まで以上に密なコミュニケーション(メッセージのやりとり可能など、ユーザーと真摯に対話する必要あり)を取らなければならなくなり、企業と個人の間でうまれた正確な情報を解析できるようになるからだ。
またこの密なコミュニケーションは、ユーザー中心型の新サービス創造を促進し、多様なサービスが生まれる空間として機能するだろう。結果的に公的色合いの強い教育系、医療系サービスに関しても、リアル世界で生まれづらかったリーンスタートアップ的ユーザー視点から新しいサービスがどんどんうまれるだろう。ともすれば、10億人規模の市場が活発に動き出す。
ただし、このサービス、ものが循環する10億人市場において、Facebookを使用するということは、それだけトラブルを生むということにもなる。仮想通貨Facebook creditを使ったトラブル、各国で異なるネット現行法を使った抜け道、或いはオンライン、オフラインでの直接、間接的暴力などだ。従来であれば、各国政府が対抗策を講じるのであるが、自分たちの領域をはるかに超えたラインについては役に立たない。
では頼れるのはどこか?
Facebookしかいない。
従って、企業や個人は理に適った、合理的な秩序、ルールをFacebookに求めるだろうし、Facebookは秩序提供のコストとして企業から税らしきスペース使用料を徴収し(個人は個人情報を税として徴収済み)Facebook法の履行を義務付けるだろう。(内容は一般的な法律と余り変わらないだろうが、GPS機能の義務化や犯罪を犯した際の個人情報公開、各国警察、民間警察企業との連携等一部抑止力を高めるような施策が取られる)
・・・
以上はもちろん一個人の妄想だが、
さて、一体全体、彼はどこに向かっているのだろうか。
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